(8年と7ヶ月前に)長野県に移住してみた その1~兵は神速を尊ぶ

かなり昔な話ですが、今から8年と7ヶ月前に長野県に移住しました。

どーも、今里生野です。

 

今回は、移住、ローカル話をしたいと思います。

なぜかって?

近々町の選挙があり、同年代の立候補が増えたな~と思ったら、いきなり年齢を感じ、よくここまで来たもんだ。

と、振り返ってみたくなりました。

 

長男出産を機に移住を決めた

結論から言うと、何も考えていなかった移住でした。

奥さん妊娠→里帰り出産→無事長男出産→移住

という、自然な流れなのかどうか不明ですが。

当時、私は東京在住。出版系勤務で、そこそこのポジションでした。

奥さんは広告代理店で、これまたそこそこのポジションでした。

※なれそめは…いつか書くかもしれません。

 

結婚した翌年に、出産が発覚。計画的にですよ、計画的。

奥さんの希望で、里帰り出産になり、出産間近になると東京で数年ぶりのひとり暮らし。

そして、休みの日は長野に行き、奥さんと過ごしてました。

 

で、無事めでたく長男が生まれて、はじめて「父親」であること実感です。

女性と違って、男はどうしても出てくるまでは実感を得られないことが多いと思います。

※そんなワケで、女性の方。一人目のときは出てくるまで男はバカなのは、諦めてください(笑)

 

実感して、やっとリアルになる「今後」。

育児は?

保育園は?

お金は?

そもそも今の仕事でよいの?

 

当時の私は、出版系。

「出版系=ブラック企業」、帰りが遅いor帰れないです。

東京在住(その時は練馬)には付きまとう「待機児童」。

育児を奥さんに任せっぱなし?そうすると…

収入激減→生活が苦しくなる→家庭内の雰囲気悪くなる→ケンカが増える→教育上よろしくない→一攫千金狙って転職する→失敗→収入激減→生活がもっと苦しくなる→(以下続く)

という、デフレスパイラルに巻き込まれる。(あくまで想像ですよ)

 

「これは不味い!何とかせな!」

 

ということで、まず職を帰るか!と考えました。

そう考え始めると、別に東京でなくても良いかな?と。

学生時代からの夢だった「出版社に入って雑誌を作る」「デザイナーになる」ということは、一応実ってきたので。

そうなると「長野移住」も一気に現実のものになります。

 

やっぱりというか…地方は職がない

その時は、「JALが会社更生法申請」や「ギリシャの財政危機」があったり、「1ドル=80円の超円高」など、世の中的には「不況」でしたね。

そんな時代の地方ですから、もちろん仕事など簡単ではありません。

まして、これまでの係わったジュンルの職は、どちらかというと都市部メイン。言うなれば東京一極集中スタイルの出版業界です。

ということで、当初は制作会社系を考えていましたが、いくつか面接をして「あ~これは退屈系の残業だらけ」やな、と。

※後、土地勘弱いので、電話しても「通える?」の確認も何度かありました。

町のケーブルテレビにも話してみましたが、中途半端な時期だったこととやそもそも人件費を余分に捻出できる経済状態ではないわけで、アッサリNG。

 

そこで見つけたのが、「行政関係」。

そうです。不況のときは公務員が景気が良いのです。

詳しい職務内容は控えますが、そっち方面だと、アッサリ入社決定。

ちなみに東京時代の所得の1/2になりました(涙)

 

ということで、職が決まれば次は「住」です。

これもアッサリ決定。というか、初めての子どもなので、奥さんの家族(主に母)が近くにいるほうが色々と安心だということで、まさかの実家の「離れ」に暮らすことになりました。

※これが後々大問題になるのですが、当初はそこまで気にしていなかった。

 

車のゲットもすんなりです。

移住する前から奥さんの地元には幾度か来る機会があり、同年代の友達未満も何人か知り合っていたこともあり、車検前のインプ(丸目)を譲ってくれました。

 

ということで、生活で重要な「職」「住」と、地方で必須の移動手段「車」を手に入れたことで、私のUターン・ローカルライフが始まりました。

長男出産が4月。新会社入社日が8月1日。結構なスピードで色々な物事が決まっていきましたYO。

 

移住は勢いです!

 

どっか公園でコレ。
どっか高原でコレ。
どっか夕焼けでコレ。
どっか秋空でコレ。
近所の空。大阪や東京では中々見れないな~

 

長くなったので、また次回。

アディオス。